破壊された城は美か?廃墟に萌える

ハイデルベルク城

ドイツの中世史は戦争に次ぐ戦争であったから、城は建設しても破壊され、ひと息ついて再建する……これを繰り返してきた。もちろん、ハイデルベルクも同じ道を辿ってきた。しかし、ハイデルベルク城は、ある時から再建していない。
そして現在、一部を除いて、中世の戦争によって破壊された状態のまま一般公開している、実に面白い城だ。

古城街道を代表する城でありながら、その見事な破壊ぶりを見せつけられる。ゲーテ、ヴィクトル・ユーゴー、マーク・トウェインなど、多くの文人たちがハイデルベルクを訪れ、その美しさを賞賛してきた。皆、廃墟の城に萌え、自分がいつの時代の人間であるかを忘れてノスタルジーに浸ったのではないだろうか。

ハイデルベルク城

ハイデルベルク城と戦争

ハイデルベルク城はプファルツ選帝侯の居城として建設されたが、幾たびも戦争による破壊を受けてきた。大きな戦争でいうと、初めて砲弾が飛んできた30年戦争、さらにはブルボン朝の太陽王ルイ14世率いるフランスとの戦いプファルツ継承戦争があり、その時、フランス軍は城や町を徹底的に破壊したとされる。

ハイデルベルク城

ゲーテが大喜びでスケッチした火薬塔。萌える。

ハイデルベルク城には、日本語オーディオガイドがあるので、利用することをオススメする。 ゲーテのラブラブデートや戦争ネタなど、とても面白いそうだ。私は逃したので、非常に後悔している。

再建しないのは神の意志

プファルツ継承戦争後、歴代選帝侯らは、当然城を再建しようと考えていた。ところが、資金難、マンハイムへの遷都などが重なる。
カール・テオドールの代になって、再びハイデルベルク城へ住まうことを考え、その計画を立てていた1764年6月24日、立て続けに2発の稲妻がホールに落ち、城は炎上。カール・テオドールはそれを神の意志と見なし、再建を取りやめたのだ。
その後、幾度も再建を提案する者もあったが立ち消えになり、廃墟のままに時が流れた。

ハイデルベルク城

ドイツ・ルネサンスの最高傑作とされている。

それから200年近く経たころ、中世に破壊しつくされたハイデルベルク城は、第二次世界大戦の爆撃をまぬがれている。中世につくられた廃墟は、中世的な廃墟のまま据え置かれ、現代的な破壊を寄せ付けなかった。これも神の意志なのか、何なのか……。
他の城とは違う、素晴らしいノスタルジーがそこにある。
城の北側、火薬塔の周辺はご覧のとおり、崩れ落ちるがままの姿を見せてくれ、いろんな想像を掻き立ててくれる。

ハイデルベルク城ハイデルベルク城

ハイデルベルク城

ハイデルベルク城

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このショットを逃している人も多いはず。入り口から奥へ奥へと庭園を歩き、館裏手のテラスから振り返って城をみる。この景色もまた素晴らしい。

DBのバーデン・ビュルテンブルクチケット:州1日乗り放題券

南ドイツの西側半分は、バーデン・ビュルテンブルク州。シュトゥットガルトやハイデルベルク、ホーエンツォレルン城のあるヘッヒンゲン、そしてホーエンツォレルン城に行くときに泊まるならオススメしたい素敵な街テュービンゲン、これらはすべてバーデン・ビュルテンブルク州だ。
20ユーロ前半でDB(ドイチェバーン)の1日乗り放題チケットがある。条件は下記サイトで確認いただきたい。
External Link >> http://www.bahn.com/i/view/USA/en/prices/germany/laender-ticket.shtml

>>ハイデルベルク城【2】カールテオドール橋との遠景を撮る

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