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【スイス】ラヴォー地区:世界遺産の葡萄畑でハイキング

スイス

チャップリンが亡命した先はスイスのラヴォーだった

世界に葡萄畑は数あれど、堂々と世界遺産登録されているところといえば、世界遺産初のワイン産地のボルドーにほど近い、サン・テミリオン地域をはじめ、2014年に登録されたばかりのイタリアはピエモンテ州南部のランゲ・ロエロ・モンフェッラート地域まで11地域ある。

2014年までにユネスコの世界遺産として認められたワイン産地は以下の通り。

  • St-Emilion(フランス)
  • Loire(フランス)
  • Wachau(オーストリア)
  • Tokaj(ハンガリー)
  • Rhine(ドイツ)
  • Cinque Terre(イタリア)
  • Douro Alto(ポルトガル)
  • Pico Island(ポルトガル領・アゾレス諸島)
  • Lavaux(スイス)
  • Piemonte(イタリア)
  • Pantelleria(イタリア)

このほか、クロアチアのアドリア海に浮かぶフヴァル島の北部に位置するスタリー・グラード平原(2008年登録)は、古代ギリシャの農業に関する景観を今もなお残している貴重な存在として文化遺産に登録されている。また、フランスのボルドーもあるが、ボルドー市の建築物と文化的価値を認めた文化遺産としての登録されているが…上記の世界遺産ワインの産地としてに数えられていないのはなぜだろう。

まぁ、いい。とにかく、どこも葡萄栽培とワイン造りの伝統が古より絶えることなく続いている、という特徴があり、見渡す限り続く葡萄畑はため息が出るほど美しい。

シェーブルからの眺め

さて、喜劇王チャーリー・チャップリンは不世出の天才であるが、1952年、自由の国であるはずの米国で共産主義者のそしりを受けたために、スイスのラヴォー (Lavaux) に亡命している。

彼は故郷のロンドンではなく、永世中立国のスイスの西、レマン湖畔に広がるラヴォー地区(2007年世界遺産登録)、その中でも葡萄畑が広がる高級リゾート地を晩年の居住先に選んでいる。
チャップリンは葡萄畑の端に広大な邸宅「マノワール・ド・バン」を構え、88歳の生涯を終えるまでの20余年をこの地で過ごした。

チャップリン像
ヴヴェイのレマン湖沿いにある公園に建つチャップリン像

ヴヴェイにあるチャップリン像はバラに囲まれ、その胸に赤いバラの花が挿しこまれていた。誰か洒落た人がいるのだろう。

亡命直後にワインセラーで開かれた歓迎会、天気の良い日に散策した葡萄畑など、ラヴォーの葡萄畑とワインは晩年のチャップリンに安らぎを与えたようだ。
チャップリンだけでなく、オードリー・ヘップバーンやクイーンのフレディ・マーキュリーもこの辺りを最期の住処に選んだことで有名。名を成した人々の心に平和をもたらしてくれる葡萄畑とワインには絶大な魅力がある、ということだろう。

現在、ヴヴェイというセレブの街で湖を眺めるチャップリン像を見ることができる。
チャップリン像はバラ園の真っただ中にあるが、そこからシヨン城までの約10kmは、よく手入れされた花壇通り「フラワーロード」と呼ばれる湖岸の小道になっていている。

ワイン列車の出発点ヴヴェイから葡萄畑ハイキング

ラヴォー地区にはいくつものハイキングルートがある。なかでも最も人気なのが、「シェーブル→サン・サフォラン」または「シェーブル→リヴァ」のコース。

私は10月の半ばにシェーブル→サン・サフォラン→ちょっと戻って→リヴァを歩いたことがある。歩くのが好きな人なら、欲張りなWコースでも大丈夫だろう。
その日の組み立ては以下の通り。

朝をゆったり過ごしてから午前中にヴヴェイへ。シェーブル駅には、ヴヴェイ駅からワイン列車(トラン・デ・ヴァン)に乗って12分。

シェーブル駅

のんびり1時間ほど歩いてサン・サフォランに着くと遅めのランチ。ひと息ついてリヴァへ。チャップリン像を見に、ヴヴェイへ戻って、夕暮れ前の湖岸の公園へと歩く。

参考にしたのは、スイスの以下のサイト。スイスが素晴らしいのは、観光情報において日本語を含めた多言語展開をしっかりやっているということ。また、街中や駅では英語表記も多く、誰に道を訪ねても英語が通じるということだ。

>>Switzerland Tourism:ラヴォー地区の葡萄畑(世界遺産)
>>スイスの公式情報サイト
>>スイス味めぐり:ワインの里を訪ねる

こうした日本語訳パンフレットがふつうに用意されている理由について、ラヴォー近郊のシヨン城で公式ガイドをしている方にうかがったところ、シヨン城がヨーロッパを廻る日本人ツアーのほとんどが寄る観光スポットだった時代があったので、ツールが整備されていたからということだった。
今では、ユーロ圏ができて西ヨーロッパの旅行がしやすくなったこともあり、行くべきところが多様化され、このあたりはあまり立ち寄られなくなったみたいだが。その分、のんびり、穏やかな風景を満喫できるだろう。

シェーブルからは30分で石畳の道や教会やかわいい家々が立ち並ぶサン・サフォラン村に到着。
リヴァならば、途中にあるモントルー生まれの音楽家ジルの記念碑がある葡萄園から右へ折れ、55分くらい。

サン・サフォランへ
サン・サフォランへ

ラヴォー歩きのコツは、湖側へ下りていかないで、横へ横へと歩くこと。そして、大きな車道ではなく、あぜ道を歩くこと、だ。

あぜ道を歩いていると、葡萄畑で作業をしている男性に会った。「ボンジュ―、マダム!」の挨拶に私も「ボンジュ―!ムッシュー」と大声で答える。なんというのどかで平和な風景の中にいるのだろう。

ラヴォーの農作業
レマン湖
レマン湖
ラヴォー
ラヴォー

平和だ。
葡萄畑を歩いている、ただそれだけで私の汚れきった腹の中をきれいに洗い流してくれた。どこまでも続くのどかな葡萄畑。きっとここは1000年前からほとんど変わっていないに違いない。

ラヴォーのワイン

スイスワインで知られているのは白だが、実際には60%が軽快でフルーティな赤ワインである。

現在、このラヴォー地区あたりではスイス特有の品種シャスラ(Chasselas)が多く、優れた白ワインになる。スイスで最も有名にして高価な白ワイン「デザレ(Dézaley)」を生産しているといえば、興味を持ってもらえるだろうか。デザレ村、サン・サフォラン村でで生まれるシャスラワインはスイス最高峰なので、ぜひ飲んでいただきたい。スイスワイン全般にいえることだが、国内でほとんどを消費してしまうために、海外ではなかなか出回らないようだ。

実際に現地に行って飲んだワインは、シュワッとした微炭酸で、香りが豊か。何より、その味の濃さ、素晴らしさに感動した。私のワインの経験は誇れるものでもないが、間違いなく白ワインではナンバーワンに輝いている。

ここのワイン造りは、ローマ時代までさかのぼり、約1000年以上もの間受け継がれてきた伝統がある。中でも特徴的なのは「ラヴォーには3つの太陽がある」ということだ。

  1. 本物の太陽
  2. レマン湖からの照り返し=反射光によるレフ板効果
  3. 斜面を支える石垣が蓄える輻射熱

急斜面にテラス状に連なる葡萄畑、それを支える石垣には、昼間ためた熱を夜に畑に放出するという工夫がなされているのだ。ワインの有名な産地は、太陽がさんさんと降り注ぐところが多いが、ここも3つの太陽のおかげで素晴らしいワインができるというわけだ。

サン・サフォランの入り口
サン・サフォランの入り口

この石垣が太陽熱を蓄えるということなのだが、実際にこの辺りを歩くと、強烈な照り返しで眩しいほどだった。そして10月の半ばだというのに汗ばむほどに暖かかった。3つの太陽があるというのは、本当だと思った。
この辺りを歩くならば、サングラスや日焼け止めは必携。日陰がないので、そのつもりで。

サン・サフォランの街
サン・サフォランの街

ヴヴェイからレマン湖を見て

ヴヴェイ
レマン湖
Alimentarium
レマン湖 ネスレのAlimentarium(食の博物館)の前から

ラヴォーを訪れるなら、葡萄の木が葉っぱで覆われている時季、6月から10月がベストだろう。夏のハイシーズンになると、ワインを飲ませてくれるカヴォーもオープンし、賑わいを見せるらしい。
私の場合、静かな秋に訪れたために、カヴォーが閉まっていてちょっぴり残念であったが、人けのない葡萄畑を気ままに歩くという贅沢な時間を過ごすことができて満足だった。

帰り道。ヴヴェイで下車し、湖沿いにある公園を歩いてこのハイキングを締めくくろうと寄り道をした。
その静けさと落ち着きの中で、晩年をここで過ごしたセレブたちを思ってみる。
スポットライトを浴びたスーパースターは、皆おだやかな最期を迎えて天に召されていることに気付くのだった。とにかく、それが一番うらやましかった。彼らもまた、ラヴォーの葡萄畑によって汚れた腹の中を洗うことができたのではないか。選ばれた人というのは、最期に心の安らぎを与えられた人を言うのだろう。

>> シヨン城【1】 Le château de Chillon と芸術家たち

>> シヨン城【2】 ピエール2世が手掛けた美城

>> シヨン城【3】 アクセス、そして城の面白い構造

>> シヨン城【4】 そこは想像以上に住みやすそうだった

葡萄畑つながりで…
>>ライン川とリューデスハイムの葡萄畑

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