貴族の社交場としてのオペラ座

パリのオペラ・ガルニエは、当時コンペで設計を勝ち取ったシャルル・ガルニエの名をとって「ガルニエ宮」とも、単に「オペラ座」とも呼ばれる国立の歌劇場である。

フランス文学、それも貴族社会を描いている小説を読むと、オペラ座がたびたび登場する。
きらびやかな世界。開演前にファッションについて談笑したり、ご婦人が遠くにいる男性に合図を送って次の幕間にこちらへ来るようメッセージを送ったりと、ただの音楽会場とは違う役割、つまり特権階級の社交場として利用されてきたのは言うまでもない。
開演を知らせる鳴り物が響き渡ると同時にドアが開かれ、ギャラリーが注目する中、美女を伴って現れた大富豪が悠然と貸し切っているボックスの一等席に着くと、オペラの演奏が始まる…そんなシチュエーションはお決まりのこと。 オペラ・ガルニエ オペラ・ガルニエ私はデュマの『モンテ・クリスト伯』を愛読しているので、オペラ座は憧れだった。パリを訪れることになったとき、歴史建造物としての価値を有するオペラ・ガルニエを素通りすることなど考えられなかった。

演目を鑑賞せずに内部の自由見学が可能

現在では、主にバレエの演目を行っているオペラ・ガルニエ。演目鑑賞をしないと中に入れないと思っている人も多いと思うが、実は、内部見学のみでもOK。
このオペラ・ガルニエは主にバレエと小規模オペラが行われ、オペラはオペラ・バスティーユでと演じ分けられている。
時代は変わり、歌劇は庶民も楽しめるものになった。演目の日程はいろいろなサイトで確認することができる。日本にいながらチケット購入も可能だ。
そこで、私もここでオペラを見ようとしたのだが、日程上現代バレエということで、内部見学のみとした。

それでも、見どころは多く、行く価値を十分に認めた。
オペラ座はパリ大改造計画の象徴として「世界一のオペラ座」建設計画から始まったプロジェクトであるため、貴族の豪華な生活水準を感じさせるものであり、当時、国としての技術の粋を集めた建造物だったからだ。
オペラやバレエを鑑賞することが叶わなくとも、その一端を感じられる内部見学であった。

【オペラ座安売りチケット購入の裏ワザ】

いわゆる「良くない席」でもいいから、端っこでもいいから、安いチケットで演目を鑑賞したいという方にオススメな裏ワザがある。何年も前にパリに住んだことのある人がいうには、開演ギリギリにオペラ座のチケット売り場に行って安い席を交渉するといいのだそうだ。今もあるとは言い切れないが、売れ残りの席があれば、融通してくれるかもしれない。ダメ元でどうだろう。

オペラ・ガルニエ

グランエスカリエ

ここの有名な見どころの1つが、「グラン・エスカリエ」と呼ばれる大階段の広間。
光の束を持っているブロンズの女性像など、何気なく飾られる彫刻1つとってもみても、素晴らしいのは言うまでもない。

グラン・エスカリエ

グラン・エスカリエ

グラン・エスカリエ

グラン・エスカリエ

グラン・フォワイエ

2004年に改装されたグラン・フォワイエと呼ばれる広間も見どころの1つ。
フォワイエとは、劇場入り口から客席に入るまでの空間のことで、開演前や幕間にひと息ついたり、談笑したりするパブリックスペースのこと。 ルーヴルやヴェルサイユなどのキラキラを見てきた人も、ここには敵わないと思うほどの黄金装飾に圧倒される。

グラン・ホワイエ

グラン・ホワイエ

グラン・ホワイエまた、オペラ・ガルニエといえば、1964年、観劇ホールにシャガールの天井画が取り付けられたことでも有名。 が、私は運悪くリハーサル中でチラリとしか見ることができなかった。当然薄暗い中での見学となり、シャガールの天井画をまともに拝めなかった。
真っ赤な緞帳やらファントムの席もチラリと見ただけで、写真を撮れるような光量を望めるべくもなく、諦めたのだった。

また、定休日や特別公演で見学ができない日もあるので、注意が必要だ。 見学希望者は、オペラ座正面から見て左側面にある入口へ。
ヴィジット(内部見学):10ユーロ オペラ・ガルニエ

 『オペラ座の怪人』はパリのガルニエ宮が舞台

オペラ座についてよくよく調べてみると…
昔から今の場所にあったわけでなく、時代によって転々とし、火事による消失などで都度再建されてきた。
当代の「オペラ・ガルニエ」でなんと13代目。ナポレオン3世の第二帝政を称える記念碑的建造物として1862年に着工された。
であるがゆえに、ゴージャス。ネオ・バロック様式の典型と言われている。
1875年に落成したのだが、完成を待たずにナポレオン3世が失脚し、湧き水で工期の大幅遅延などのすったもんだ。さらには建設費用がかかり過ぎたと激怒したパリ市が完成披露パーティーに設計者のシャルル・ガルニエを呼ばなかったとやらで、いろいろあったようだ。
といっても、この瀟洒な建物は、見る人を圧倒せずにはいられないものがある。

パリの貴族のための娯楽施設であり、燕尾服の男性とドレス姿の女性がオペラを鑑賞する社交場だったのだが、どうやら『モンテ・クリスト伯』の時代とはズレており、その後に建っていることがわかった。

が、ガストン・ルルーが著した小説『オペラ座の怪人』の舞台としてはピタリと一致している。 ちなみに、『オペラ座の怪人』とは、その小説か、またはそれを原作としたミュージカルのことをいう。

オペラ座に「幽霊が出る」という噂を聞きつけ

原作者ガストン・ルルーはもと新聞記者であった。
新聞記者が探偵になって事件を解決…という型の推理小説を生んだのは彼が最初だといわれている。

1910年、彼はオペラ座の構造や地下の広大な奈落、建築経過などを詳しく取材しており、建設された当時の幽霊話や陰惨な事件などを用いて創作的に肉付けし、ミステリアスな怪奇ロマンとしてこの世に生み出した。
小説の舞台としても19世紀後半というから、当代のオペラ・ガルニエで間違いない。

さて、第二帝政様式のこの建物は、総面積1万1000平方メートルの広さを誇っているという。
巨大な建造物は単なる歌劇場を超え、設計者も建造者も知らない抜け道や空間がいつの間にか出来上がっていた…とか、ゴージャスでキラキラの装飾品の裏に隠された地下は迷路のように入り組み、そして物陰に幽霊やファントムが隠れていた…。
そんな描写がただの作り話ではなく、実際の噂や事件が織りなすストーリーから仕上げられたのだから、どことなくリアリティがあるわけだ。 Amanogawa

ガストン・ルルーの知名度

日本でガストン・ルルーは、小説家として、また作品のうえでもあまり知られていない。
『奇岩城』などリュパンシリーズを著したモーリス・ルブランと同時代の人であるが、あちらのほうが有名なうえに、日本語翻訳された作品の数でも比較にならないようだ。
漫画およびアニメシリーズ『ルパン三世』は、アルセーヌ・ルパンを祖父にもつという設定の女好きの泥棒の話で、日本では永遠に愛されるヒット作であろう。

映画『オペラ座の怪人』を知っていても、2014-15年シーズンのフィギュアスケート界でミュージカル曲『ファントム』がこぞって使われていても、原作はなぜかさっぱりだ。
かくいう私も、大学時代にかなり西洋文学を手に取ったはずだが、ルルーの作品は図書館になかったような気がする。

本国フランスと違って日本で彼の知名度が低い理由のひとつとして、「リュパンの翻訳者の保篠龍緒にあたる紹介者がいなかったからだろうか」(『週刊朝日百科世界の文学16』より)と首をかしげている人もいる。
それが本当だと仮定して、「当時は小説の力よりも翻訳者の力のほうが小説の拡散と大いに関係していたのかもしれない」という一点のほうが正直驚きなのだが。
「運ってことか?」と。