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ハイデルベルク城【2】カール・テオドール橋との遠景を撮る

ドイツ

古城街道を代表する城は廃城だった

マンハイムからチェコまでの全長1000km以上にも及ぶ古城街道。その中でもひときわ人気なのが、ハイデルベルク城である。
南ドイツを旅すればわかるが、本当にそこかしこに古城が点在している。
それなのにわざわざ「古城街道」と謳い、その筆頭にハイデルベルク城が挙げられる理由とは何なのだろうか?

ハイデルベルク城
カール・テオドール橋からみるハイデルベルク城

ひとつは、ここを訪れた哲学者や芸術家たちがそうであったように、廃墟のまま公開されてきたその歴史ある城に人々はおおいに想像力をかき立てられ、インスパイアされてきたから。

>>廃墟の城となった経緯と詳細は ハイデルベルク城【1】

カール・テオドール橋のたもとから哲学者の道へ

ハイデルベルク城の魅力その2は、ネッカー渓谷の山の中腹にある城と、ネッカー川を跨いでいるカールテオドール橋との遠景に思わず“萌え”るからだ。
ぜひとも押さえていただきたいので、撮影ポイントを紹介する。

カールテオドール橋
旧市街側の双塔を持つ橋門。落とし戸で橋を閉鎖できる。

ハイデルベルク城と並んで有名なのが、風情たっぷりの石橋「カール・テオドール橋」。1788年に選帝侯カール・テオドールによって堅固な石橋に架け替えられた。

選帝侯カール・テオドール
カール・テオドール(プファルツ選帝侯、バイエルン選帝侯)

カール・テオドールの政略結婚話に興味がある方はこちらをどうぞ。
>>中世・近世ヨーロッパの衣装【5】ニンフェンブルク宮殿★後半

それまでは木の橋だったので、流されることもあったようだ。
この旧市街側の塔門は、かつて城壁の一部で、フランス軍に対する防御用だった。

カール・テオドール橋

そこをくぐって、ネッカー川を越えてまずは対岸へ。目指すは「哲学者の道」。橋のたもとに入口があり、皆そこを登っていくのですぐわかるはずだ。

くねくね「シュランゲン小道」を曲がって15分。途中ハァハァ息を切らしながらひたすら階段を登る。
ヒーヒー、フーフー。「こんなキツイ坂なんて聞いてないよ!」とボヤキながら…。

そして見た絶景。

ハイデルベルク城

遠景を拝す

ゲーテやショパンが愛した素晴らしい眺め。疲れが吹っ飛ぶとはこのことだ。
橋のアーチと、泥色したネッカー川、そして山の中腹に建つ廃墟。
このショットを写真に収めたくて、皆やって来るのだ。
特に夕日でオレンジに染まる風景が人気で、絵葉書や絵画にもなっている。

哲学者の道を登らず、下から煽るかたちで撮影したり、絵を描いたりするのもOKだ。その場合は、カール・テオドール橋を渡って、左へ少し行くとそのポイントである。ちょうどこの写真の真下あたりがそうだ。
ちなみに、かつてネッカー川は氾濫する暴れ川であったとか。おだやかな川面からは想像もつかないが。

国際色

ハイデルベルクに滞在することを決め、迷ったのが、どのあたりに泊まったらいいのかということだった。
旧市街という中世の城下町にすべきか、それともハイデルベルク駅に近いほうがいいのか…。
結論から言うと、駅近だと何の風情もないから、パスして正解だったということ。当初はバスに乗ってホテルに行くしかないということを面倒くさがって駅近以外のホテルを敬遠していたが、行ってみればそれほど苦痛ではなかった。バス(トラム)が数多く行き来しているので、利便性はよいほう。また、駅前のツーリスト・インフォメーションでは、多言語のパンフレットがあるし、バス路線図などを入手できるので小さな心配は無用だ。

ハイデルベルクカード

私は駅と旧市街地との中間あたりのレオナルド・ホテル・ハイデルベルク(Leonardo Hotel Heidelberg)に滞在した。決め手はバスタブ付きということであったが、それ以外のことを含めて全体的に快適であった。

ホテルにいても、旧市街に繰り出しても、一気に有色人種が増え、ここがハイデルベルク大学を中心とした国際的な街であることを実感する。どこにいても、外国人がいて当たり前という感覚だった。

ハイデルベルク

かつて文人たちがここを訪れて、その素晴らしさを記して有名にした経緯を考えれば、学問以外にも、人々を引き寄せる魅力があって当然であろう。きっと伝統に違いない。国際色豊かであるということ。世界中の人々を萌えさせるノスタルジーがあるということが。

>>ハイデルベルク城【1】破壊された城を再建しないのは神の意志

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