ナチス党政権下のドイツを象徴する都市

ニュルンベルクは、やはり特別なのか、神聖ローマ帝国の歴史とは裏腹に、ナチスドイツのプロパガンダ(宣伝)の舞台でもある。

ナチスの第一回党大会があったのもここ。
ユダヤ人から公民権を奪い取った「ニュルンベルク法」が制定されるなど、ナチスの一大拠点こそがこのニュルンベルクでもある。

ニュルンベルクの街並み

ニュルンベルクの街並み

ナチスは神聖ローマ帝国との連続性を意識していた。だからドイツにとって特別な都市ニュルンベルクを選んで、自らを「第三帝国」と称したのだ。

第三帝国」とは

通常はナチスの支配体制をさす。ナチスは 1933年政権を獲得すると,962~1806年の神聖ローマ帝国 (第一帝国) ,1871~1918年のドイツ帝国 (第二帝国) を引継ぐものであると主張して,自己の支配体制を第三帝国と称した。

ブリタニカ国際大百科事典より

そういうアピールによって、ナチスのプロパガンダが有利に働くことを知っていたからに違いない。

興味深いのは、ニュルンベルク自体は選挙でナチス党を勝たせなかったということ。それにもかかわらず、この街はナチスにとって「帝国党大会の街」としてプロパガンダの上で重要な都市であり続けた。
ニュルンベルクの“持っている”感を完璧に利用したのである。

プロパガンダとは
>>プロパガンダ【1】大衆操作に飲み込まれる人々

敗戦後、米英仏露の戦勝国によってナチス政権下で指導的立場にあった戦争犯罪人を裁くニュルンベルク裁判が行われたのもここだった。
実は、ニュルンベルクがナチスの一大プロパガンダ拠点となった歴史的経緯を知る戦勝国側の人たちが、あえてこの地を選んだと言われている。

ナチス党大会跡の記念センター

ニュルンベルクの近郊にナチス党大会跡の記念センター「帝国政党議会記念センター(ドク・ツェントルム:Dok-zentrum)」が2001年から公開されている。

そこでは、1933年から1938年まで、毎年ナチス党大会が開かれていたのだが、現在ではヒトラーおよびナチスの所業の数々を公開しており、ニュルンベルクという都市に負のイメージを与えた象徴的な場所となっている。

日本で「ナチスの負の遺産」と言えば、強制収容所くらいしか思い浮かばないが、ここへ社会見学で訪れるドイツ人の子どもたちが多く、生きた授業が行われているのだそう。日本語ガイドがないことも、日本で知名度が上がらない理由だと思う。
行った人の話では、想像していた以上に衝撃的であるらしい。へんに隠さずに歴史を直視し、同じ過ちを繰り返さないという姿勢が貫かれている。

私はニュルンベルクに行ったにもかかわらず、迷った末にナチスの負の遺産をキレイに素通りした。
一度目のドイツ旅行から、凄まじい爆弾を心に受ける度胸がなかったためだ。
きっと、広島の原爆資料館での衝撃に値するだろう。今さらながら訪れなかったことを後悔している。

旅行記サイト4travelでのfrau.himmelさんのブログに詳しいので、以下に紹介したい。
>>2011GW (6) ☆かつて ナチス党の象徴だった都市 ニュルンベルク☆

帝国政党議会記念センターへのアクセス

ニュルンベルク中央駅から20分、トラム9番で終点「ドク・ツェントゥルム」下車

External Links>>エイビーロード:ドク・ツェントゥルム

Bayer str.110 90478 Nyuernberg

 

>>帝都ニュルンベルク【1】カイザーブルク城は皇帝の居城

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