スイスで最も入場者数の多い城

スイスロマンド(スイスのフランス語圏)にあるシヨン城は、湖に浮かぶように建つ美しい城である。
シヨン城を「シオン城」と呼ぶ人が結構多いのだが、シオンは別の場所の地名 Sion があり、混同すると行き先を間違うことになりかねない。読みだけでなく、場所も違うので、注意されたい。

湖畔のシヨン城

シヨン城外観

13世紀には今の形になった。所有者はいろいろ変遷しているが、爆撃を受けたり、戦争によって破壊されたこともないというから、運のいい城に違いない。

この城、 調べてみると、多くの芸術家たちがこぞってそこを訪れ、何かを感じて芸術を生み出してきたのだという。

18世紀ごろになると、貴族によるスイスの保養地ブーム が起こり、とりわけこのモントルー近辺にどっと人々が押し寄せた。
今もセレブが住んだり、セレブが訪れる街として人気が高いのだが、当時培われた観光地としての特色が今も続いているといっていい。
クィーンのボーカルとして有名なフレディ・マーキュリーも、ここに移り住み、愛したひとり。

日本ではマイナーなこの城だが、実は本国スイスでは有名なようで、 スイスで最も入場者数の多い城がシヨン城。
「スイスに城なんてあるの?」と意表を突かれる話かもしれないが、 そもそも今の形を整え、大がかりな築城をしたピエール2世も、 フランスのサヴォワ家の貴族であり、 そのサヴォワ家が後世にイタリア統一を果たす名門貴族になるのだから、ヨーロッパの巨大なうねりの一端として眺めてみる必要があるのだろう。

そういう歴史話は追々するとして、【1】では、ここに魅せられた芸術家たちを紹介しようと思う。

「シヨン城に霊感を得て大いにペンを走らせ…」?

シヨン城協会の冊子には、「シヨン城に霊感を得て、大いにペンを走らせた芸術家たちがいた!」とある。
文豪では、バイロン、ヴィクトル・ユゴー、アレクサンドル・デュマ、ジャン・ジャック・ルソー、ディッケンズ、ヘミングウェイ、アンデルセンなど。
画家の有名どころでは、フランス画家クールベ、水彩画のターナーがいる。

芸術家をインスパイアするほどの神秘的な城の佇まいを思えば、魅了する理由を語る必要などないのかもしれない。
4人ほどシヨン城との関わりを紹介する。

ジャン・ジャック・ルソー

世界史、フランス史が好きなら、フランス革命でよく名前が登場するジャン・ジャック・ルソーをご存知だろう。
彼は西の対岸、ジュネーブ市民だった。
哲学者として、あまりに有名だが、小説家でもあり、当時若者を興奮させた恋愛小説『ヌーベル・エロイーズ』が有名どころ。『ヌーベル・エロイーズ』では、シヨン城が重要なシーンになっている。
ヒロインのジュリーはシヨン城へベルンの代官を訪ねる道すがら、2人の子どもたちと湖畔を歩いていて、そのうちの一人が湖に落ち、飛び込んで助けた彼女はそれが元で風邪をひいて、命を落とし、恋の情熱がここで終わるのだった。
当時、ジュリーに恋する読者たちにとって、心の巡礼地になったようで…。物語に夢中になった高貴な人々がどっと押し寄せた。いつだったか、韓流ブームでロケ地を巡った女性たちがいたが、その心境と同じようなものであったのではないだろうか。

バイロン

英国詩人バイロンは1816年にこの地を訪れている。「ルソーの孫になりたかった」とかで、友人には以下のように書きつづっている。
「私はエロイーズのあとに従い、ルソーの地を歩きつくした。彼の叙述の崇高さと力、その入念さ、それが現実に持つ美しさに圧倒されながら」
バイロン卿は心の赴くままに600篇もの詩を書きつづり、その情熱はヨーロッパじゅうを駆け巡った。”The Prisoner of Chillon”『シヨンの囚人』は、さらにシヨン城をロマンティックで詩的なものにし、有名にした。

『シヨンの囚人』とは、ボニヴァールという16世紀実在の囚人のことで、シヨン城の地下牢で鎖につながれていたサヴォワ家の人である。
で、私も興味がそそられ、シヨン城の売店にあったので、買って読んでみた。当然のことながら、詩を和訳すると、うまくないことが多いので、良さがほとんど伝わってこなかったのだが…。

アレクサンドル・デュマ

A Dumas

A Dumas

アレクサンドル・デュマは、『三銃士』『モンテ・クリスト伯』を著したフランスの大人気作家。1832年、シャトー・ディフにいたデュマは、シヨン城に思いを馳せて次のように語った。
「殉教者をつないだ牢は偉大な寺となり、その柱は祭壇となった。高貴な心をもち、自由を愛する人は、かの人の苦しみの地に祈りを捧げるために、わざわざ遠回りをしてでもそこを訪れる。殉教の人がかくも長い間つながれた柱に歩み寄り、その足跡が刻みこまれた敷石にひざまずき、そのつながれた首輪をかき抱く」
殉教者とは、詩人バイロンが『シヨンの囚人』で詠んだボニヴァールのこと。19世紀になって、ここが観光地化されると、多くの貴族たちが訪れたので、そのことを述べているのだ。

ちなみに、日本ではなかなかお目にかからないが、デュマの母国フランスでは、世界中を旅行し、冒険してきた彼の旅行記も見かけた。
19世紀当時、まだまだアフリカが未開の地であったころでも、そこを訪れているくらいの冒険好きな彼。スイス旅行記もその著した中に入っているようだった。
残念なことに、その本はフランス語で著されているため、内容を理解することはできなかった。興味のある人は、フランスはパリにあるシャトー・モンテクリストへ。

External Link >> CHATEAU MONTE CRISTO

そこはデュマの資料館になっていて、彼の著作も販売されているのを見かけた。

>>「アレクサンドル・デュマ【2】 小説工場とシャトー・モンテクリスト

ヴィクトル・ユーゴー

デュマ探訪から7年後、フランス文豪のユーゴーも一筆触れている。
「シヨンは、岩塊のうえに建てられた一群の塔である。一部の木製部分をのぞいて12世紀から13世紀の建立、現在はヴォ―州の兵器庫と爆薬庫として使われている。大砲は砲門にその砲口をのせたままに置かれている」

このほか、シヨン城にはおどろおどろしい話もあるのだが、そんな雰囲気など微塵も感じさせない爽やかさがある。セレブに愛された歴史がそうさせるのだろうか。
いや。やはり、ここをあの形にしたピエール2世の雰囲気がそのまま乗り移っているのだと感じている。

参考:冊子『シヨンへの歩み』シヨン城協会

 

>> シヨン城【2】 ピエール2世が手掛けた美城

>> シヨン城【3】 アクセス、そして城の面白い構造

>> シヨン城【4】 そこは想像以上に住みやすそうだった 

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