城とは動乱の世の記念物

「切り取り強盗は武士の習い」という言葉を知ったのは、歴史小説家・山岡荘八の傑作『徳川家康』での中であった。
意味は、下剋上の奪い奪われるの時代の武士の姿そのまま。
切り取り強盗の世の中を変えるために、家康が直面した数々の試練物語の中に、城と乱世の姿もリアルに描かれている。
隣人も親族も信用できず、なんでも力ずくで手に入れた戦国時代。いつも泣かされるのは女子供であった。
織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康は、そんな時代を終わらせ、新しい世、泰平の世を造ろうと立志発願し、天下統一を果たした。

織田信長肖像画

織田信長

豊臣秀吉肖像画

豊臣秀吉

けれども、領土の切り取りしか知らぬ男どもは、泰平の世になると何をしていいのかわからず、慣れ親しんだ戦を再び始める。
あろうことか、泰平の世を目指したはずの秀吉が、茶の湯という千利休の哲学をつまんだ程度では道を変えられず、朝鮮への切り取り強盗を号令して、逆にエライめに遭った。
その後、関ケ原の戦いを境に落ちぶれた武士たちも、切り取り時代を懐かしむ。彼らは立身出世は戦でするものと決め込んで続々と大坂城に籠り、徳川将軍家にとって代わることを夢見て鬨の声をあげた。結末はご存じのとおり、大坂冬の陣・夏の陣で、時代遅れの不逞牢人は一掃されるのだ。

このころから、城を修繕するだけでも幕府に届け出が必要となった。切り取り強盗は止み、国持大名たちは領地の統治を幕府から一任されはしたものの、完全な管理下に置かれることになるのである。……そういう描かれ方をしている。

徳川家康肖像画

徳川家康

本題に入る。

城とは何であろうか?
フィリップ・ディクソン著『騎士と城』からその答えを引用する。
「城は封建社会の領主の住まいを要塞化したもの」であり、「すべての城に共通しているのは、敵を中に入れないための防衛構造になっている」とある。つまり、防衛を第一とした動乱の世に建築された歴史記念物が城なのである。

古今東西、城は基本的に群雄割拠の時代に建造されたものである。そんな城も、日本では天下統一を境に、また西洋では巨大国家や帝国が誕生する絶対王政時代を境にして、戦のための城はほとんど新築されなくなった。

今回は天野川流に「城とは何か?」を俯瞰し、国を限定せずにもう少し話を進めていきたいと思う。

城の移り変わり

そもそも城は封建時代の基地であり、避難所であり、軍事拠点であった場所。またはやんごとない方々の居住地。
守るに固く、攻めるに易し。これが理想である。

岐阜城

ケーブルカーでなければ行けない岐阜城。すごい山の中にある

日本を見ると、群雄割拠の時代に建てられた城は、いわゆる山城が多かった。これも山という自然の砦の上に建てれば、それだけ守りやすいから。南ドイツでも実に多くの山城の古城を見たが、これも同じ理由に違いない。

古城

ホーエンツォレルン城

ちなみに、日本語ではそれらを「城」と呼んでも、ドイツでは「ブルク: Burg」と「シュロス: Schloss」とに表現が分かれており、前者は騎士の城塞を指し、後者は王侯貴族の宮殿を指す。

王侯貴族や有力者の住まいが時代とともにどんどんきらびやかになっていくわけだが、それは世の中が安定したからこそできる話である。織田信長の安土城、秀吉の大坂城にしても、天下が見えてきたころ、自らの威光を示すための象徴として建設された。いざというときのことも念頭に置いて建ててはいるが、見栄えや内装は当代随一を求めた。そこで謁見をしたり、他国の要人をもてなしたりもしなければならない。
城の意味合いが変化していったのだ。

シヨン城【3】の記事でも書いたが、城は「そこに俺がいるんだぞ!」と思わせる存在感が重要なのだ。
つまり、「難攻不落」に見え、「為政者の財力も統率力も大したものだ」と思わせ、戦意喪失させる象徴として城は威圧感たっぷりに威風堂々とそびえ立たねばならない。

シヨン城

シヨン城

きらびやかな城といえば、フランスでは16世紀以降に出現している。中央集権国家が形成されていくころなので、城に防衛機能はほとんど必要なく、見せつけるためだけの豪華な貴族の住居と化す。大邸宅になっても、凸凸凸凸凸凸という狭間胸壁や見張り塔など城の様式は取り入れられた。
王様は城に住むもの、ということなのだろう。ということは、城がきらびやかな邸宅になったのではなく、貴族の邸宅に城の様式を取り入れたといったほうが正確なのかもしれない。

狭間胸壁

狭間胸壁(はざまきょうへき):城壁の頂部にある仕切りで、凸壁と低い部分が交互に並んでいる。守備では凸壁で身を守りつつ狭間から攻撃する。

ドイツのノイシュバンシュタイン城は趣味で造られた“幻想の城”

城は動乱の世の記念物とか、切り取り強盗時代の遺物と書いた。「では、ノイシュバンシュタイン城は?」と突っ込まれそうだ。ディズニーの『眠れる森の美女』とかシンデレラ城のモチーフとも言われている(断言してはいけないらしい。ディズニーがそう言っているわけではないので)。

確かに、上述の城の概念からは外れる。そう、あれは別物なのだ。
ドイツ人も「本物ではないからね」と思っているらしい。中世の城ではない、と。
事実、19世紀後半に王のルートヴィヒ2世が自らが設計し、国庫をすっからかんにして中世風に建てたにすぎない。政治に無関心で、音楽を愛した浮世離れした彼は、中世に憧れ、おとぎの国の世界を現実に作った。

白鳥のように美しく、あれだけ世界的に人気の城が、世界遺産ではないのだから、専門家から歴史的・文化的意味合いが薄いのだと判断されていると考えるべきか。

さて、ご存知の方も多いと思うが、その王様、城が完成した直後に変死しているのだ。湖のほとりで。

湖家臣らの暗殺説もある。政治的に無能であるばかりでなく、国のお金を趣味にすべてつぎ込むとんでもないバカ殿なのだから、生かすと害があるばかり…とされたのではないか、と。
王の死後、城はすぐに観光資源として公開される。そして、世界各国からこの城見たさに訪れる人々が絶えない素晴らしい観光地になった。

皮肉なことに、贅沢三昧をして当時民衆の不評をかったフランスのマリー・アントワネットや噂のルートヴィヒ2世の所業も、現代的な視点でみると別の価値がありそうだ。
昔ヒエラルキーの頂点にいた特権階級がどれだけ民衆から搾取していたのかがわかるし、勝手放題もとことん極めると、文化的に凄いモノをつくるということ。そして、それらはまともな発想では世に出ることはなかった。

現在、名古屋城が500億円かけて木造再建する話があるし、ドイツのベルリン王宮の再建でも、莫大な税金を投入するということでどちらも喧々諤々、着地が難しい状況だ。常人の判断だと「そこまでして意味があるのか?」という結論に至る。

鶴の一声を発することのできる者は、もう絶滅したのだ。

 

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