原爆資料館の被爆再現人形が「怖いからという理由で撤去する」という噂

2016年の暮れ、広島出身の30代の知人と話していたとき、原爆資料館の話になった。「あそこに入ってすぐに、グロい被爆者の人形がいるじゃないですか? アレ、怖いから撤去されるそうですよ」と聞いて、「なぜだ?」と腹立たしくなった。どうせ、一部の過敏な人間の意見を取り入れて、当たり障りのない展示に甘んじようとするのだと受け取ったからだ。

「まったくもって、けしからん!」という私に、彼は軽く反論した。
「広島で議論になっているらしいです。でもね、僕らは広島県民だから、小学校のとき、平和学習の一環で見学に行きましたけど、アレを見て昼飯食えなくなった子がいましたよ」「昼飯食えないくらいナンだ、と思うけど。それくらいの衝撃を受けて、何が悪いのかしら。あれと比較にならないくらいの悲惨な現実があったわけでしょう?」「そうですけど、小学生ですよ。キツすぎるでしょう」
確かに、小学生にはグロすぎるというか、夜うなされそうな内容だと言える。平和への思いに至る前に、精神的に参ってしまう可能性があるわけだ。

「私、19歳で初めてアレを見て、それはそれは衝撃を受けたわ」「でしょ?小学生ですよ、小学生に見せなくてもと思います」「そういえば、東日本大震災の映像を見ただけで精神的におかしくなった人もいたよね。やっぱり子どもへの配慮もいるのかなぁ」

西日本の小学校や中学校は、平和学習として被爆地である広島や長崎へ行くところも多い。
幅広い人々に見てもらいたいなら、一方向のみの動線ではなく、衝撃的な内容を避けたい人のための展示ルートをつくるなどして、心の耐性に応じた選択する自由を与えることもアリだろう。小学生に判断できないならば、保護者が判断してもいい。
確か、蝋人形で有名なロンドンのマダム・タッソー館は展示がゾーニングされていて、グロい展示を避けることもできるのではなかったか?

…と、ここまで「怖いから撤去するのか!」と憤った話を展開しておいて何だが、実はその話が正確ではないのだと知ったのは、私が原爆資料館にある撤去直前(2017年1月)の再現人形を見た後だった。

一体、どうなっている?

2016年度までに撤去予定の被爆再現人形を見て

広島平和記念資料館(通称「原爆資料館」)を初めて訪れたとき、衝撃の連続であった。当時は学生で入場料50円(2017年1月現在は大人200円)。
入ってすぐにリアルな3体の人形がおり、そのほかにも言葉を失う展示のオンパレード。

2018年の改修工事完成にともない、被爆再現人形を2016年度までに撤去する計画が2013年に発表されているのだが、久しぶりに行ってみると、再現人形が変わらずにそこにあった。あと数か月後であったら、見ることができなかったに違いない。

被爆再現人形

ちなみに、展示物は公式HPでも見ることができる。ゆえに、これ以降、生々しい写真は割愛する。

この原爆資料館は、撮影OKである。あたりを見回すと、あまり撮影する人がいないことに気づく。
おそらく、初めてここに来たらば、撮影することすら気が回らないくらいの衝撃を受けているのだろう。
外国人も多く、音声ガイドで聞きながら真剣に見入っていた人ばかりであった。

私は19歳で見たときよりも、心の振れ幅が激しく、必死に耐えなければならなかった。親御さんが必死に我が子を探しあて、介護の甲斐なく亡くなっていく子どもたち。当時の広島は、子どもたちが戦時の働き手として動員されていたために、爆心地のあたりにたくさん集まって作業していたのだ。

被爆再現人形の撤去問題

さて、冒頭で振った「怖いという人がいるから人形を撤去」という噂に話を戻す。

実は、広島市は「…見た目が恐ろしい、怖いなどの残虐な印象を与えることなどを懸念して撤去するものではありません」と回答しているのだ。展示内容の更新(人形の撤去)はフィクションなどの作り物ではなく、「実物資料重視」という広島市の方針によるもの。

被爆再現人形は、非常に印象に残り、当時の情景を伝えているという展示だというご意見があります。しかし、一方で被爆者の方は、無残な遺体がたくさんあり、男女の区別さえつかず、親子でさえ見分けることができない情景を体験されています。そうした状況からは、被爆再現人形に対して「原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった」といったご意見もあります。展示をご覧になられる方の見方によっては、原爆被害の実態を実際よりも軽く受け止められかねません。来館された全ての方々に悲惨な被爆の実相を現実に起こった事実として受け止めていただき、こうした惨劇を今後二度と繰り返してはならないという思いを心に刻んでいただきたいと考えており、そのためにも誰が観覧しても個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要と考えております。

External Links>>広島市より:平和記念資料館の被爆再現人形の撤去について

では、そもそもなぜ「怖いから撤去」などと誤解されたのだろう。 中国新聞の記事で下記の流れで読めるかのような記載があったためだろうと思われる。

アンケートで「人形が怖い」という声もあり、別の順路を作れないか?の意見あり

リニューアル後、人形は展示しない方向と答える

この日、市議会予算特別委員会で議題に上った。委員の一人が「旅行代理店のアンケートに、人形が怖いとの意見があった」と指摘。石田芳文・被爆体験継承担当課長は「本館リニューアル後は、展示しない方向で検討している」と述べた。本館は16~17年度に改修を計画している。

External Links>>中国新聞:原爆資料館の被爆者人形撤去へ 実物資料重視へ広島市 来館者には賛否

この記事だけではないと思うが、このやりとりから派生し、おまとめサイトでタイトルを「怖いから撤去」に変更して拡散され、ネットを中心に沸いたようだ。
こうして多くの一般市民から「いかがなものか!?」と反対され、展示継続を望む運動にまで至ったというのだ。

あの3体の人形は、誰というのがない、いわゆる「フィクション」なのだそうだ。「実物でないならば、必要ない」という声もある。
実相とか、実物資料のみという考えもわからないでもないが、実物に限定することで受け手が直観的に得るものが逆に「実相から遠のく」ということはないのだろうか?再現することでしか見せられないものもある、ということだ。

Yahoo Japanが2013年に行った「原爆資料館の『被爆人形』はどうすべき?」という意識調査では、投票総数2万7640票のうち、61.3%(1万6947票)が「現在の形で展示を続ける」べきという意見であった。
賛否両論、撤去反対運動が巻き起こるほどの存在感があるとは、凄いことではないか。

2016年のオバマ氏広島訪問

オバマ大統領広島訪問パネル

きっと、2016年に訪れた米国のオバマ氏も展示の数々を見て、言葉にならないほどの衝撃を受けたことだろう。
広島平和記念公園で献花を手向けるときの彼の表情がすべてを物語っていたように思う。

ところで、日本がオバマ氏に謝罪を求めないと決めた時、作家の塩野七生氏は「大変良い」と言った。「無言で迎えて、そして黙って送り出せすほうがいい。言葉はいらない、何も問わぬという迎え方をすべき」だという主旨の新聞記事を読んで深く考えさせられた。
時に言葉は不要なときがある。何かを感じてもらうということこそ重要なのだ、と。

また、被爆者たちも米大統領に謝罪を求めていたのではなく、広島原爆資料館に来てもらうことを希望していたという意味に、改めて心が動かされた。それまでの私には、二つの違いがよくわかっていなかった。謝罪させるよりも、その悲惨な事実の一端を直視して感じてもらうこと、心に刻むことのほうが意味があるのだと。
これは、広島原爆資料館に来た人にしかわからないかもしれない。

原爆資料館を訪れた人は、皆言葉を失う。心がそのあり得ない衝撃を受け止めるために、遠い彼方へしばし思考が彷徨うのかもしれない。
展示の最後にみたオバマ氏の折り鶴が印象的だった。

オバマ大統領が折った鶴

オバマ大統領が折った鶴

追記:被爆再現人形は2017年4月25日に撤去

現在改装中の原爆資料館。この4月25日を最後に被爆再現人形は改装に伴う本館閉鎖で姿を消す。
それにしてもこの人形、どこへ行くのか。