鬼といえば

鬼は過去の日本人が創り出した想念の形であるそうだ。恐怖心が鬼をつくったと言おうか。。
「来年のことを言えば鬼が笑う」ということわざがあるが、鬼が鬼のような形相ではなく、笑ってくれるなら、どんどん未来の願望を誰かに言うべきではないかと母が描いた鬼の絵を見て思う。

それにしてもこれは…除災招福の絵というやつか? こん棒をぶち上げ、「ひやっほ~」とどや顔。私は母の絵手紙の中でもとりわけこの鬼の絵を気に入っており、我が家の心の拠り所として年中飾っている。

鬼 絵手紙

Illustration: 天野川の母

そういうわけで、節分の時節でもないが、鬼について語ってみたい。

節分

毎年2月3日は節分。日本では、古くから2月4日が春の始まる日、そして1年の始まる日とされてきた。その前日が節分である。
節分は、いわゆる旧暦の大晦日という感じだろうか。

節分は邪気を追い払う伝統行事で、この日の夜、人々は「鬼は外!福は内!」と唱えて炒った大豆を家の内外に撒き、その年一年の健康を祈って、自分の年齢と同じ数の豆を食べるのが習わし。
とはいえ、炒った豆は美味なものでもなく、拾って食べるなど衛生的ではないから、ほとんどの人は今様の形でセレモニーを楽しんでいる。袋詰めの豆はグッド・アイデアだ。

DSC_0553

節分はただの豆撒きセレモニーかというと、そうでもなく、やはり日本の習俗の中にしっかりと根ざして生き残っている。
神道系の神事としては、たいていの神社で「節分祭」が行われているし、お寺でも「節分会(せつぶんえ)」などの名で除災招福を祈願し、有名な神社仏閣では縁起のいい豆をもらおうという人で結構なにぎわいを見せているらしい。厄年の換算も、四柱推命のような東洋の占いも、この旧暦の区切りで考えられていることを思えば、形骸化しているとは言い難いのだ。

節目とか折り目を大事にする日本人の心としては、旧暦・新暦関係なく「良い年にしたい」と祈念し、禍事(まがごと、凶事)や鬼が寄り付かない毎日を遠いお空の神や仏、あるいはご先祖様に祈ってきたのである。

鬼とは何か

この鬼、節分では邪気の象徴として追い払う対象だが、そもそも何なのだろうか。

想像上の悪の象徴で、8世紀から書物に登場し、9世紀には今の姿で描かれている。鬼はおおよそ人の形をしていて、角と牙をもち、裸で腰に虎の皮をまとっているのが一般的。これは牛の角と虎の牙から来ているといわれている。
今も無慈悲な人でなしを「鬼のような人」と言い、日本人にはなじみのある存在で、幽霊ともまた違ったものとしてとらえられているのだ。

鬼と天狗

日本の昔話でよく登場する鬼は、どこにいるのかというと、集落から離れた場所、おぞましい場所にいつもいるようだ。勇敢な者は鬼を成敗するために旅に出るわけだが、昔の人々は自分たちのテリトリーを「内」、見知らぬ領域を「外」と考えていた。
子どもたちに「あそこから外には行ってはいけない」と教えるのは危険から守るために大事なことで、「鬼がいて、お前を食ってしまうんだ」と脅かす必要があったわけだ。

得体のしれない悪や危険の存在を鬼が出回る場所として、節分で「鬼は外に出ていけ!」と唱えていたのである。

鬼にまつわる諸説

さて、鬼とは何であるか諸説あり、一説には、外国人、とりわけ白人のことだったのではないかという人もいる。

大学時代の地理の先生は授業でこうおっしゃった。
「交通機関や情報網が発達していない昔の日本人は、たまたま日本列島に渡ってきたロシア人などを見て同じ人間とは見なかった可能性はありますよね? 今も海外で白人のことを白ではなく“ピンク星人”のような言い方をする人もいます。血色のいい白人を赤鬼、血色の良くない白人を青鬼と見たとしても不思議じゃない。まして言葉が全く通じないのだから」と。

昔の日本人が赤ら顔の白人を見て「赤い肌の巨大な男。あれは人間じゃねぇ」「毛むくじゃらで怪力だった」と恐れるのもわかる気がする。日本人はみな肌が黄色く、まっすぐな黒い髪であったわけだから、体格が良く色とりどりの巻き髪をなびかせている白人を見て仰天したと考えることもできるのだ。

つまり、鬼とは、当時の日本人の想像を超えた存在であり、わかりやすい悪の象徴ということであったのだろう。鉄器のこん棒を振り回し、平和な生活を乱す巨人たちを退治する武勇伝が物語として語り継がれていったのではないだろうか。

red ogre

ネガティブシンキングの行方

鬼とは人間の想念が創り上げたものだという話はちょっと考えさせられる。悪い想像が連鎖するという恐ろしさ。思い込みの代償もいろいろありそうだ。

今の時代、外国人を見て鬼だと思う人はいない。世界はつながり、未知なものでもなくなったからだ。知らぬがゆえに、意思疎通ができないゆえに、相手を隔離したり、やっつけたりした時代を「無知だったんだね」と笑う自分たちがいる。その一方で、相手の心が見えなくて怖いときに、自分の世界から無理やり締め出したり、相手を置いてけぼりにして現実逃避したがる臆病な性質は、時代にかかわらず誰しもが持っているのではないだろうか。

と考えれば、「鬼は外!」は心の中の弱い部分を祓うおまじないの意味があるのかもしれないし、神社仏閣のお祓いの類も心に巣食う負のスパイラルを断ち、解き放たれて明るい光を取り込みたいという人々の願望に応えるものかもしれない。

私は基本的にポジティブシンキングの人間だが、先日、どういうわけかネガティブにモノをとらえて自滅していくようなことがあった。ところが、あるとき別の見方があると気づいたときに、突然視界が明るくなった。心の在り様次第で、物事の見え方が変わってくるということに気づいたら、「どうしてネガティブな発想に陥っていたんだろう」とさえ思える。

人は自分の思っているようにしか物事をとらえようとしない傾向がある。とくにうまくいっていないときは。身を守るためにとりあえず目の前のものから逃亡して昔々からやり過ごしてきた。だが、鬼の話は、そのことをたしなめる。

鬼さん、悪の連鎖を断ち切ってください。。

Traveloop大