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ある患者の苦悩

心の窓

ある患者の苦悩

医者: こんにちは。今日はどうされました?

患者: 私の身体や心がどうのこうのいうわけではありません。実は、夫が2年前の大型連休の夜、自宅で倒れまして……。

医者: 脳梗塞か心筋梗塞なんかをやったんでしょうか?

患者: ええ。夫はもともと体調が悪くて、15年前から透析もしていました。学者なんですが、ここ数年は病気がちながらも、体調をみながら論文を書いていたりして。ところが、運悪く、病院がまともに稼働していない連休のど真ん中に彼が倒れて、救急車を呼んだんですけど、救急隊員がどこに電話しても受け入れを拒否されました。そこで仕方なく、私がA大学出身だったものですから、その縁で無理やりA大附属の大学病院に入れてもらったんです。

でも、病院に搬送されたときには、もう……手遅れだと言われて。「どうなさいますか?」と訊かれて、私は彼のいない人生は考えられなかったから、「先生、お願いします! 助けてください!」と言ってしまったんです……。

医者: ここは泣くのも、話す内容も、話さない、話したくないという意思も、すべてあなたの自由ですよ。
……すると、あなたご自身も大学で教鞭をとっている、と。お互い似た者夫婦というか、学問に優れていたんでしょうか。

患者: 彼と私は幼馴染というか。私にとって彼は、とても頭のいいお兄ちゃんという存在でした。彼はこのあたりでトップのB大学に進学しました。専門は違いますけど、私も同じ大学に行きました。私は大学を卒業して就職し、彼が大学の教員になったのを見届けてから結婚して……。私は彼とならやっていける、と思って結婚したんです。あ、こんな話は関係ありませんね。彼の病気の話のほうが……。

医者: そんなことはありません。過去の話も重要な要素ですから、で、その後は?

患者: 子どもができなかったんです。私は、どうしても彼の子が欲しかった。にぎやかな家族を夢見ていました。どちらの理由かはわかりませんが、とにかく子どもに恵まれなかったのがとても悲しくて。私は専業主婦というタイプではありませんので、夫の勧めもあり、大学院に進むことにしました。やっぱり、私、学校という場所が好きなんですね。教職は天職なのかもわかりません。
家では、それぞれの専門の話で夫婦喧嘩してみたり、ともに夜中まで論文を書いたり、学生のレポートに赤を入れたりして。夫がそれなりに元気なころはそんな毎日でした。

医者:で、現在あなたも教鞭をとっているということですね。

患者: はい。でも、夫が倒れてからは優遇してもらっています。毎日午後3時ごろに夫のもとへ行って、それから2時間くらい一緒にいて、時間が来たら帰ります。今はそんな毎日です。

医者: だいたい、わかりました。で、今日は、何をお訊きになりたいんでしょう?

患者: 何を訊いてもいいのですよね?

医者: ええ。何を訊いてくださってもいいですが、僕はあなたを治すためにここにいるのではありませんので。医師なのに、すみません。その代わり、必ず何を訊かれても答えますから。

患者: わかりました。あのぅ、報酬はどうなりますでしょうか?

医者: 心配ですか?

患者: 差し上げられないものもありますので。注意書きの「患者の所持するものの中から報酬を選択する」というのがどういう意味かと。お金持ちでもないですし。

医者: 私はブラック・ジャックではありませんから、法外なお金を取ることはしませんし、超能力者でもなければ、霊能者でもありません。もちろん、宗教に入信させようだなんてのも、ね。そこは安心してくださって結構です。あなたが素直に訊きたいということをそのままおっしゃってくだされば、無体なことはしません。お約束します。

患者: そうですか。じゃぁ……先生、夫が脳死になって、自分の意志では何もできない生命体となりました。私のせいで! ええ、私のせいなんです。「命だけは助けてください」と私が言わなければ、彼は無理やり生かされることもなく、こんなに苦しまずに済みました。何度も危ないときがありました。それでも、彼の生命力が強いせいなのか、なんとか保ちこたえてくれています。こんなに身体のダメージが幾度もあっても、血管に針を刺しまくって、肌が痛々しいことになっても、なお生き続けられている。無理やりに。私のわがままのせいで。

あのとき、私は何と言えばよかったのでしょうか? そして、彼はどうしてこんな身体で生きているんでしょう? 魂って、何ですか? 私の声は彼に届いていますか? 教えてください!
ねぇ、先生、主治医に「もう結構です。生命維持装置を外して、彼を楽にしてあげてください」なんて、私、言えない。彼がいなくなったら、私は生きていけない……。でも、彼を楽にしてあげたい。毎日辛い思いをさせている、そう思うとかわいそうで。どうしたらいいいいのか、と。毎日毎日……。

医者: まずね、はっきりさせておきたいことがあるんですよ。ご主人の生命に関すること、つまり彼の生殺与奪の権は、あなたには一切ありません。彼があのとき死なずにいれたこと、そして今もそのような状態で生き続けていられること、いつ命の灯が消えるのか? そういったことのすべて、あなたの選択は、実は影響がほとんどないんですよ。

患者: そんなことはありません。だって、病院の先生が「ご主人は助かったとしても脳死状態ですから、どうなさいますか?」って、私に選択を求めたんです。あのとき私が「諦めます」といえば、死んでいてもおかしくはありませんでした。

医者: 確かに。でも、あなたがどんな選択をしようとも、脳死状態で生命維持装置のついた状態では、いつ亡くなってもおかしくはありません。風邪を引いただけで肺炎から死に至ることも普通です。ましてや、ご主人のように、病気がちの方でしたらなおさら。

死というのは、タイミングですから。人間は皆いつかは死ぬわけで。当時そのタイミングのカギを握っていたのはご家族であるあなただったとしても、諦めると言おうが、助けてくださいと言おうが、どちらに努力をしても、無理なときもあるのです。僕、いろんな看取りをしてきましたので……本当に言葉にできないくらいの不思議な体験もあれば、予想通りにお亡くなりになる人もいました。そんな経験で思い知らされたのは、僕ら医療者は患者さんがどんなに危機的な状況だろうと、最善を尽くすということ。だが、その先の領域、死かサバイバルか、そしてタイミングの件に関しては、誰が何をしたからどうなるだなんて、ほとんど影響を受けないのかもしれないと思うこともしばしばでした。事実、手術も処置も申し分なくうまくいったけれど、あっけなく亡くなったりもしますし。皆がその場で「これがいいんだ!」と信じて命を助けようとする、努力する、でもその先のことは、残念ながら祈るしかないこともありますよね? 限りある命、奥さんだからといって、延ばすことができるかというと、それは違うのではないかな。

いいですか? 例えばあなたが勝手に生命維持装置の電源を切ったり、故意に危害を加えたり、あり得ない放置をしたら、それはあなたの影響で殺すことも可能ですが、そうでない場合は、まったく別の原理で命が動いているから、あなたのあのときの選択がどうだということは関係ないと申し上げておきます。

患者: ……。

医者: あなたは自責の念にとらわれてらっしゃる。自分のせいで彼に辛い思いをさせている、だから自分は苦しまねばならない、と。そう思わねば、自分だけのうのうといつもと同じ毎日を送れる幸せが、何か悪いことをしているように感じられるからです。

ところで、あなたはご主人を愛してらっしゃる?

患者: ……はい。もちろんです。だって、私には彼しかいません。

医者: お二人は愛のある素晴らしい夫婦であり、家族なのでしょう。よろしい。残りの質問に答えましょう。

ねぇ、家族ってなろうと思ってなれるものなのか、縁を切ろうと思ってできることなのか、すべてなかったことにできる関係なのか、本当に考えさせられるんですよ。そういう意味では、良縁もあれば、悪縁もあり……尊敬の対象であり、庇護の対象であり、反面教師であり、自分を破滅に追い込む人かもしれないし、また近い存在ゆえに近親憎悪の対象でもあります。家族愛の側面からすれば、「仲良し家族!」ってね。それは誠に理想的ですけど、きれいな面にフォーカスしているとも言えなくもない。

たいていは各ご家庭はよそ行きの姿を周囲に見せているけれども、内実、家族だからこそ自分の醜態をさらしたり、迷惑をかけまくってみたり、辛く当たったり、悲しませたりして、そうやってときにお互いを苦しめ合うような関係でさえあるのです。認知症になって相手が自分の息子かどうかもわからない、寝たきりで動けない、意識がなく何年も人工的に生かされている……まさにご主人のような境遇もあるでしょう。家族になったからこそ、相手に迷惑をかけてしまう。意図せずにね。

俯瞰してこのことをみれば、逆の立場、つまり夫からすると、「妻をこのように縛り付けて、泣いてばかりの2年を送らせることになって、さぞ無念だ」と心を傷めているのかもしれません。そうでしょう? で、あなた、この2年は迷惑をかけられたとか、もっと有意義な人生を送れたのにもったいないとか、思いますか?

患者: いいえ!

医者: 家族って、相手を苦しませたり、迷惑を掛け合ったりしながら、それが深い反省の材料になったり、成長の糧やきっかけになったりもする、強烈な関係なのだということです。憎もうと、愛そうと、迷惑を掛け合いながらお互いに成長する関係なのが家族だとしたら、きっとこんな状況になってしまったとしても、どこかで相手のためになっているし、また結果的にあなたのこれからの人生に大きな影響を与えているとも言えます。お辛いでしょうけど。死後の世界があって、魂が次のステージに行くっていうのが日本の生死観ですが、今回のことも、彼には彼の反省や苦しみやそれによる成長もきっとあって、次の世界に持ち越すかもしれません。僕は霊能者じゃないから、本当かどうか知りませんが……。

そのことを受け入れて、どんな苦しみも耐えてみせると思えるようになれば、あのときあなたが下した延命の決断も、あなただけのこととは言い難いし、どちらも当事者として苦しみ、成長していくための出来事として存在したことになりはしませんか?

患者: 先生は、「乗り越えろ」と?

医者: 「受け入れろ」、と申し上げます。僕が信じる愛は、受け入れることなんです。苦しいだけの後悔や二度とあの日は帰って来ないという悲しみに耐えて、明日を迎えようとしているあなたを彼が見てくれるはずだ、と。彼は、そんなあなたの姿に何かを感じ、成長してくれる、かけがえのない愛おしい人だと受け入れてほしい。

患者: そんなふうに思えたら、どんなに楽でしょう。「あまりにも悲しく、受け入れられない」と思うことは、家族として当たり前で、何年経っても癒えないのが愛なのかと思うのですが。でも、先生から言わせたら、それは「拒否」だというのでしょうね。

医者: いいえ。ただ、こういう話ができるまでに2年が経ちましたが、それも必要な時間であったのかもしれません。あなたには。

患者: 先生、彼の魂はどこで何をしているんでしょうか?

医者: きっと待っているでしょうね。あなたが「もう大丈夫」だと思えるような日を。いや、「もう大丈夫かな」って今頃思っているかもしれませんし。僕なら、「君はもう大丈夫だよ」ってお別れを言いに行きます。

患者: お別れ?

医者: ええ。あなたがここに来たということは、誰かの意見を受け入れようという意思の表れでしょうから、「きっとあなたはもう大丈夫」、と。

いいですか、彼に会ったら最期のお別れをしなさい。「長い間、辛い思いをさせてごめんなさい。でも私には必要だった」って。そして、「ありがとう、もう大丈夫だからね」と。

 

恩師に捧ぐ

あとがき

2017年にアップしたこの物語は、数年後にいったんここでは閉じられ、Amazon Kindle電子書籍の『中世のお城の物語』の第二話として掲載するにとどめていた。
しかし、思うところがあって再掲する。

この物語をつくったきっかけは、恩師の悲しみを聞かされたものの、まともなことも言えず、彼女の力になりたいと願いつつも余計なことだけはしたという…後悔から生まれた私の「膿」だった。

前にも後ろにも行けない。後悔だけを抱えて時が止まった状態の恩師。夢のような現実のような毎日を過ごしている人に何と言ってあげられるだろう。こういうふうにずっと燻ぶった状態で数年が経ち、ふと「今の私が先生に何か言葉をかけるとしたら」と心のままに綴ってみたのが『ある患者の苦悩』である。

臆病者の私は恩師の夫がどうなったか知ることもできず、今に至っている。
恩師の名前を2022年のお盆に活字で見かけ、「先生は今もちゃんと生きている」とわかって安心した。

最後にお会いしたとき「彼がいなくなったら、私は生きていけない」と言っていた恩師が今もこの世にいらっしゃる。それを知って、この場を借りて恩師のために書いたこの物語を再び捧げたいと思う。

再掲の折、自分が書いた物語を読み返して驚いた。「現実を受け入れることが愛」などと、よくもまぁ書いたものだ。5年前の私は今よりも大人だった。

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