開拓に赴く人々は、人生の仕切り直しをしたかった?

明治期から始まった、本格的な北海道開拓。
「開拓」とは何だろう。移民のご先祖を持つ私は、いつもこのことを思う。
小学生の時に教わった内容を思い起こすと、手つかず状態の自然を相手に、木を切り倒し、木の根っこを掘り起こして地をならし、道をつけ、畑を耕すことから始まり、井戸を掘って、家を建てる…
文明人としてそれなりに生活できるような環境を一からつくる、ということだ。
しかも、米の栽培に向かなかったことなど、内地の常識がほとんど通用しない。

羊蹄山

蝦夷富士:羊蹄山

「開く」「拓く」。どちらも「ひらく」と読む。
つまり北海道は、道外から見るとどうしようもない「未開の地」だった。
北方ロシアの脅威に対応するためには、蝦夷地に人が多く住むということ、軍事的な対応が可能であること、食糧を賄うことなどが急務であった。
だから、国を挙げて北海道移民を奨励した。先住民の存在などお構いなしに。

誰が慣れた故郷を捨てて、未開の地に住み、苦労を背負いこもうとするだろうか?
もし、故郷での生活が円満であれば、わざわざ外地=蝦夷地に行くはずがない。
それでも行ったというのは、よほど現状が悲惨であったか、賊軍の汚名をそそぎたかった落ちこぼれ士族か、誰かのうまい話に乗ってしまったか、絶対的職務があったかしかないと、いつも思う。
当時を描いた小説を読んでいると、そうとしか思えないのである。

実際に、私のご先祖も、これらのうちのどれかに当てはまる。

 開拓移民になったからといって、土地を得たわけではない

「北海道開拓=屯田兵」という安易な直結をしがちだが、屯田兵として入植した人々は、ほんのひと握りであったはず。
その後も、土地を開墾するなど条件を満たせば、そこを所有することができた時代もあったが、皆が皆農家だったら、北海道は機能しないのだ。
北海道移民と聞いて、土地の取得と結び付くのは、土地の手続きが明確なデータとして残りやすかったという側面があるからにほかならない。実は、データとして残らないものの中にこそ、多くの個々人の生活風景が埋没している。

ところで、私の3、4代前の人々はどうだったのかというと…
父方の家系は漁師で、祖父の代まで漁業を生業としていた。
またある者は、裕福な家に生まれ、大学卒の長男でありながら、家も妻子も捨て、北海道に渡って再婚し、やくざのようなことをしていたらしい。
またある者は、淡路島の豪商の出でありながら、たまたま嫁いだ先の大黒柱が放蕩して財をなくし、泣く泣く一家で北海道にやってきた。
そのほか、もやもやしているが、「大工のようなことをしていた」というアヤシイ職人もいる。
私が知っている範囲では、青森県、秋田県、新潟県、能登半島、淡路島、徳島県の出身者がいた。

とにかく、彼らは生きていくために、お金になることをやってしのいだのだろう。
誰一人として農民として土地を得た者はいない。
が、土地があろうとなかろうと、等しく苦労をして移民生活を送っていたはずだ。

そして現代。私たちの代は、たいして苦労もせずに北海道でのびのび育った。
明治・大正期に移民してきたご先祖とは天と地ほどの大きな違いがある。
何もないところに道をつけることほど大変なことはない。

お盆の時期になると、彼らはどんな人生だったのだろうと、いつも思う。

あとがき

能登半島へ我が家のルーツをたどる旅に出た。能登半島から北海道に渡った人も多かったという情報を得る。
興味のある方は下記へ。

>>能登半島【1】伝!ご先祖は平家の落人