パンシロン

昭和4年にスイスのレマン湖に立ち寄ったひとりの日本人がいる。その男は美しいシヨン城をその胸に刻み、そして後年、ロート製薬の社長となった。1954年、戦後初の胃腸薬として自社の製品を売り出すとき、彼は心に残るスイスの美しい城から名をとって命名する。それが「シロン」だ。
シロンは後に「パンシロン」に名を変え、50余年を経た今もロングセラー商品として生き続けている。「シロン」はシヨン城(Château de Chillon)のChillon。

シヨン城_湖畔から

この風景がベストショットと思う。城に向かって左側へ行けば、湖岸が湾曲しているので、だれでもこのように撮れる。妥協せず、最もよいポジションでカメラを構えたい。

シヨン城を「シオン城」と呼ぶ人が結構多いのだが、シオンは別の場所の地名 Sion があり、混同すると行き先を間違うことになりかねない。読みだけでなく、場所も違うので、注意されたい。

サヴォワ家の進出

ところで、私がシヨン城を知ったのは、「湖畔 ヨーロッパ 城」で検索をしたのがきっかけ。出てきたシヨン城の画像に絶句した。湖面に浮かぶようにして建つ城など、そうあるものではない。そして、何より美しく、堅牢で、調べるほどに強運ぶりがうかがえるのだ。

シヨン城map

この地図はシヨン城にあるパネル展示。三日月型の湖がレマン湖。湖岸の左端がジュネーブ、北岸中央がローザンヌ、そして右端に位置するのがシヨン城だ。

シヨン城は3つの時代に大別することができる。
①サヴォワ家領時代(12世紀-1536年)
②ベルン人所有時代(1536-1798年)
③ヴォ―州所有時代(1798年-現在)

地図下中央に “SAVOIE” とあるように、そこがフランス貴族サヴォワ家のふるさと。
12世紀に入り、もともとフランスの出であるサヴォワ家が進出し、この地一帯を支配するようになる。
そして13世紀に登場するのがシヨン城を今の形に増改築し、城としての体裁を整えたピエール・ド・サヴォワ(PierreⅡ 1263-1268)。

ピエール・ド・サヴォワ

ピエール・ド・サヴォワ

下記、”レマン湖伝説”は、現在シヨン城の案内人をされている日本人のブログで、私がリクエストしてピエール2世について追記してくださった。とても詳しいので、紹介したい。

External Links >>
レマン湖伝説: http://leman0323.blog9.fc2.com/blog-entry-143.html

ウィキペディア: http://en.wikipedia.org/wiki/Peter_II,_Count_of_Savoy

その名のとおり、サヴォワ家に生まれ、のちにピエール2世として伯爵となるのだが、それも60歳前後にようやくのこと。実は彼、7番目の子どもで、家長となるには相当遠いところにあり、誰もが聖職者になるものだと思って生きていたようだ。

若いころ、遠くイギリスにまで出かけ、ヘンリー3世に仕えて従軍したことが運命の分かれ道。
そのときかなりの功を立て、褒美として莫大な財産を頂戴することになる。その財を惜しみなくつぎ込んでできたのがシヨン城。伯爵として即位したのはほんの5年間だが、彼の功績は、実際の在位期間よりはるか以前に始まっている。
数々の戦功のほかには、
・13世紀半ばに城の増改築に乗り出し、堅牢かつ安全なシヨン城を築いた。
・ヘンリー3世に姪のエレノアを嫁がせるなど、何人もの姪をイングランド王室に嫁がせ、縁戚関係を結んでいる。
・城の南にビルヌーブ(新しい町の意)という経済の街が大いに賑わった。
・アルプス越えの数少ない要所として、城周辺で通行税を徴収し、富を蓄えた。
・現在、スイスの西側がフランス語圏なのは、その当時、ピエールによる支配と統治の影響だという学者もいる。ちなみに、フランス語圏スイスのことを「スイスロマンド」という。

“小シャルルマーニュ”と称されたピエール2世

“シャルルマーニュ”とは、フランク王国の始祖カール大帝のフランス語読み。
カール大帝は「ヨーロッパの父」とも言われていて、西ローマ帝国をつくった人であり、その帝国がやがて分裂してのちに神聖ローマ帝国やフランス王国などになった。
Wikipediaには「特にドイツ史とフランス史の中では、フランク王国の大きな功績をそのまま継承する国との歴史観が主流であり、また彼を古典ローマ、キリスト教、ゲルマン文化の融合を体現した歴史的人物として評価している」とある。彼は西洋史上、特別な人なのだ。
フランスでは、トランプのハートのキングがカール大帝。

とすれば、フランス貴族のピエール・ド・サヴォワ(PierreⅡ:伯爵在位1263-1268)が偉大なカール大帝の名を冠する伯爵であったということは、ヨーロッパ人にとって最大級の褒め言葉が彼に向けられたということだろう。

とはいえ、彼はひとり娘しかいなかったので、死後、シヨン城は直系の胤ではなく、弟に継承されることになる。
フランスでは、サリカ法という女性に不利な法律があって、女子には遺産相続できないことになっていた。娘のベアトリ―セは2度もヨーロッパ貴族に嫁いでいるが、ピエールとジュネーブ貴族出身の母の遺産は手に入らなかった。
そして、ピエールの姪たちは重要な政治の道具として王妃に仕立てられた。日本の歴史と同じように、女たちは戦に出ない代わりに、血のパイプ役として遣わされる運命だったのだ。

 Savoy Palace

余談だが、ピエールはイギリス従軍時代の功績でロンドンのど真ん中ある土地も得ている。1246年、ヘンリー3世はピエールにストランドとテムズ川の間の土地所有を認め、サヴォイ・パレスを建てた。
サヴォワ家にちなみ、そこは「サヴォイ」と呼ばれ、現在テムズ川のほとりにある世界的に有名なホテル「The Savoy」(サヴォイホテル)はゆかりの場所であることを示している。

External Links >>
Savoy Palace:  http://en.wikipedia.org/wiki/Savoy_Palace
The Savoy:  http://www.fairmont.com/savoy-london/

The Savoyはロンドンでもラグジュアリーホテルであり、1泊10万円クラス。興味があるから、せめてレストランの利用でも…と考えるものの、庶民が行くようなところではないみたいで、明らかに場違いな中で食事する勇気など持てそうにない。
ロンドンの一等地を所有するとは…。
そして、シヨン城のある街モントルーは、現在セレブのリゾート地として名高い。
ピエールの存在感を色濃く残したその場所は、今の今でも潤った土地ばかりのようだ。

 

>> シヨン城【1】 Le château de Chillon と芸術家たち

>> シヨン城【3】 アクセス、そして城の面白い構造

>> シヨン城【4】 そこは想像以上に住みやすそうだった 

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